2
日本国内だけで400種はあると言われている春の花。その名所や名木は各地にそれぞれありまするが、それでもその昔は、
――― 梅は岡本、さくらは吉野
とか言ったそうで。ちなみに、岡本というのは神戸の現在は東灘区にある地名で、何を隠そう、筆者が学生時代からの ん十年くらい、住んでたり生活の場だったりした土地でもございまして。阪急神戸線の沿線で、桜が綺麗なその上に、梅でも有名なお土地柄…だと知ったのは、そこから離れてからでしたが。(ダメじゃん) さくらの方の“吉野”は、歴史ゆかしき奈良の一角、吉野山のこと。今でも有名なところですから、皆様にも馴染みがございましょう。
「何でさっきから桜が平仮名なんですか?」
ああ、それね。他のお話でも書いたかも知れませんが、桜という“漢字”は実は翻訳間違いで、中国では別の花を差しているとされているそうで。古代の日本は、文化文明の進んでいた大陸との交流の中で、戦術や思想、哲学、天文・暦といった色々な学問や、農業の知恵、機織り、窯業の技術などなど、様々なことを学びとった。そんな中の“漢字”を学んでいた時に、日本のさくらを博士に見せて、これはなんて書き表しますか?と聞いたらば、おうおう、これは中国にもある木です。そう言って示されたのが“桜”だったのですけれど、後になってそれは、分類的には近いながら“ユスラウメ”という別の木だと判明。でもでも、時 既に遅く、その漢字が広く普及した後だったので、ま・いっかとそのままになっている…とのことです。ちなみに、だからと言って日本が原産ではないそうで、中国には山桜系の原種がありますし、日本の原種とやらは、朝鮮半島にも分布しているオオシマ系かヒガン系ではないかということです。
「…もーりんさん、ガセビアの泉に沈められないようにね。」
こらこら、セナくんたら何てことを。(苦笑) 筆者との相変わらずな“お暢気MC”はともかくとして、
「山桜だったから、咲くのも散るのも早かったですね。」
葉柱が早朝の見事な花吹雪に驚いてしまった、問題のご近所の桜木立ちとやらは、手入れの稀な土地にそれでも根付きやすいようにと選ばれた、野生に近い品種の山桜だったため。早咲きの上に散るのも早くて。セナなどお庭の花びらの絨毯を見てから咲いたのに気づいたような案配だったので、のんびりと愛でて楽しむどころじゃなかったが。それでも、春の到来のお知らせには十分に役立ってくれたようであり。
「こうなると、普通の桜を見に行きたいですよねぇ。」
「そか?」
花見という行楽が民間一般にまで降りて来るのは、江戸時代になってからだが、春先に一斉に萌え出す花を愛でようという宴は古くからあった。奈良時代までは“春の花見”と言えば梅の花であったそうだし、藤や菖蒲を見るのも花見だったが、平安時代辺りからは“花見と言えば桜”という風潮になり、すっかり取って代わられてしまったのだそうで。その当時のは貴族の行事、鑑賞用に手入れしたものを宴へ招いた客らと共に堪能したのが始まりだとか。やがて、鎌倉時代には武士らも野外での花見を楽しんだとされ、豊臣秀吉の“醍醐の花見”などはそりゃあ絢爛荘厳だったことで有名。そして…今現在の形、花の下でお弁当を開いてのどんちゃん騒ぎなんてな形になったのが、江戸時代に八代将軍吉宗があちこちへ“桜を植えよ”と奨励したのが弾みになって…だと言われている。と言っても、有名どころの桜には庶民が気張って植樹した木立や並木も多く、これもまた“江戸っ子の心意気”というものか。
――― そういう後世のお話はともかくとして。
明け方など まだ少しは肌寒かったりもするものの、それでもそんなお花の便りが聞かれるほどに春も進んでいるのなら、見事に咲き誇る桜を眺めて、春爛漫、華やいだ気分に浸りたいと、そんな風に思うのが人の常。それでのおねだりだったのに、
「ウチの屋敷で“常識”持ち出すとは、何という無謀な奴め。」
こらこら、そんな無体なお言いようを胸張って断言してどうしますか。(苦笑) 冠のように神々しい金の髪に、どんな淑女も敵わぬだろう、深みのある白の印象的な、練絹のようなさらさらのお肌。意味深な笑みを悪戯っぽくたたえた金茶の眸に、線の細い繊細端麗な面差しにという、そんなそんなせっかくのお綺麗な姿と裏腹、相変わらずに世間の常識なんて知ったことかという臍曲がりぶりも健在なお館様であり、
「い〜ですよ〜だ。」
だったら進さんに連れてってもらいます〜と、小さなお口を尖らせて、柔らかそうな頬を不満げにぷっくり膨らませたセナくんの、いかにもな駄々こねの様のあまりの愛らしさへ…ついついと。意地の悪そうな尖り方をしていた筈の、こっちの目許や口許がほころんでしまったからには、半分くらいはお師様の負けかも。吹き出してしまいそうになったのを誤魔化すように口許へ綺麗な拳をあてながら、
「わ〜かったよ。連れてってやる。」
「えーvv ホントですか?」
「但し、人の多いごちゃごちゃしたとこはダメだ。」
場所は俺が指定するかんな、天気がいいなら明日にも行こうぞ。そんな仰有りようへ、は〜いvvと打って変わってのいいお返事をしたそのまま、早速にもと機敏に立ち上がった書生くん。賄い方のおばさんへその旨をお伝えしなくっちゃ、玉子焼きに山鳥のつくね、山菜おこわのぜんまいは、進さんと一緒に裏の丘まで今から摘みにゆこうなんて算段をしながら。美味しいお弁当作ってもらわなくちゃと、庫裏の方へ素早く とたとた駆けてゆく現金さよ。陽の差し込む間口寄りに出していた円座に座って、脇息に肘をついてた、うら若きお館様。見たなりと同じほどの幼さを披露してくれたセナくんを“あれってどうよ”と傍らの侍従殿へと示しながら苦笑したものの、
「…あ、悪い。どした?」
「おいおい。」
ぼんやりしていたらしい黒の侍従殿のすっとぼけた応じに肩透かしを食ってしまい、思わずの素の反応で カクリとコケてしまったのを何とか立て直す。それから、
「どうしたよ。」
先程のような和み満開の会話には、必ず…そりゃあ楽しげな顔になって参加し、口は挟まずまでもついてくる彼だのに。それが心ここに在らずだっただなんてと、わざわざどうかしたのかとあらためて訊かれたほどに、珍しいことには違いなく。
「いや…。」
大した何かなんてないと眠たそうな顔をして見せた葉柱、そのまま相手のお顔を眺め返せば。こちらさんは二度寝が効いてか、今はすっかりとしゃっきりしているらしく。目許も涼しく、色白なお肌もぴっかぴかという闊達さを、そりゃあもうもう遺憾なく発揮している術師殿。春の直衣の襲(かさね)は黄味の強い萌黄と緑。その表着のほうの草色の地に、よくよく見ると仄かに色違いの緑が矢来格子のような模様になって織り出されてあるという、ちょっぴり凝ったお召しをまとい、足元、袴は深めの木賊とくさ色でまとめた、結構なお粧めかしぶりをしておいでで。
「もしかして桜の宮様か?」
「ま〜な。」
短い訊きようで通じるところは、さすが主従の絆の深さ。…つか、行きたくないなら何の衒いも斟酌もなしに蹴るのが定石のこの彼でも、3度に1度は断れない、不思議な相性の相手からのご招待ならしいなと、そっちから手繰ればすぐにも判ることだったから。
「あんの腹黒東宮さんはよっ。」
たまには言うこと聞いてくれないと、セナくんに無いこと無いこと吹き込んで、宮中へひょいって召し上げちゃうからねなんて、どこまで冗談か判らん脅しなんかかけやがってよ…って、あああ やっぱり。(苦笑) どこまでがどういう意味で本気なんだか、そんな掛け合いの結果として、宮中での催し、東宮主催の桜の宴に招かれているらしいお館様。都近在の名士らが余さず招かれていよう賑やかな…ついでに退屈極まりなかろう、そんな場に、自分までもがわざわざ顔を出さねばならぬのへの八つ当たり。セナくんからのおねだりへまで、ついつい荒い鼻息ぶっかけた彼だったらしいという順番がほの見えて。
“…まま。元気になってくれたんなら何よりだが。”
だって、今朝方の彼ってば、何ともかんとも頼りなげだったから。それこそ“心ここに在らず”というような、陶器作りの人形みたいな風情でいて。この腕へと抱き上げたその体にいつもの重さと温みとがちゃんとあったのへ、どれほどホッとした葉柱だったことか。
“ったく。人の和子にたぶらかされていてどうする、だよな。”
人ならぬ邪妖の、しかも総帥格だってのにねと、ついの苦笑が洩れそになって。だが、ご当人の前では、それも何とか誤魔化して。
「せいぜい楽しんで来いや」
なんて、心にもないことを言ってやり…しっかり蹴飛ばされた総帥様だったりするのだった。(笑)
◇
春寒料峭、寒に耐えて健気に咲くのが梅ならば、待望の春爛漫を謳歌しながら、それは華やかに艶やかに咲き誇るのが日本の桜。梅や椿や、沈丁花に木蓮などなど、陽あたりのいいあたりから蕾が順番に開花して、半月かそこら結構長く咲き続ける他の樹花とは一味違い。三分五分と開き始めたそれからは、あっと言う間に樹ごとの満開状態になり、それから1週間ほどという短さで一斉に舞い散る潔さ。気高く風雅な緋白の花々が、手鞠のようになって幾重にも。重なり合って咲くその奥行きの深さが、どこまでも引き込まれるような“花闇”を構成し。いつまでだって見てたいような、そんな魅惑をたたえて咲いて。もはや妖冶でさえあろう趣きの、何とも言えないその美しさが絶頂の盛りを迎えると。今度は…とめどなく降りしきる涙雨のように、ささやかな風にさえ吹かれてはほろほろと、辺りの空間を全て埋めるかの如く。一斉に、なす術なく、散りゆく様の、凄絶にして壮麗な佇まいの哀しさよ。颯はやてに撒かれては舞い上がり、痛々しいのに寂しげなのに。なのに…だから。眸を奪われ、言葉を奪われ、魂まで持っていかれそうになるほど魅せられる。そんなところもまた、桜が日本人に好まれる理由だそうで。じたばたしないでパッと散るところが、武士道や歌舞伎の“粋”なんぞに見られるような、人々の快哉を招く“美学”とやらに通じたんでしょうね。
「うわあぁぁ〜〜〜〜っvv」
お館様がここならと選んだ桜の名所は、進さんと葉柱さんという、人ならぬ方々に連れてってもらっての“飛翔”でやって来たほど、都大路からはちょっぴり遠い、山野辺の里外れ。杉の木の方が主役であるらしき土地の片隅に、それでも立派な大きい桜が、しかも並木になって立っており。スミレ色の染みた青空の下、常緑の杉の濃色に、今は萌え初めの色なのだろう山吹の茂みのやわらかな緑や。遠くに見えるは、まだ裸のシラカバだろうか、細かい枝が白い雲みたいにも見えており。そんな様々な色たちが遠く近くに一杯の、絵の具箱の中みたいな風景の中。艶やかな緋白の花々を梢にまとい、今この時期の主役様、立派な古木の桜たちが、風に揺れては緋色の帯を頭上でゆらゆらと揺らして…それは綺麗だったらなくって。
「綺麗ですよね〜〜〜vv」
間近に寄ってよし、少し離れて見てもよし、ということか。あっちへちょろちょろ離れたかと思えば、今度はこっちへ戻って来るなり、そのまま後ろへ引っ繰り返りそうなほど顔を上げ顎を上げ、枝々のずんと高みを見上げてみたり。それは目一杯堪能してくれるのは、此処へと招待した身には十分過ぎるほどに本望だけれど、
「…よく疲れぬな。」
つか、なかなか飽きんのだな、あやつ…と。いつまでも桜から視線が外せぬセナくんへ、そっちへも感嘆しているお館様だったりし。そりゃあさ、見事だとは思うけど。物言わぬ存在の極致でありながら、こうまで美しいと所謂“魔性”とやらだってありそうな気もするけど。
“でもなぁ。たかだか花だしなぁ。”
いやまあ健気な“生き物”ですよ? はい。でもなぁ、どうせだったら突々いて反応が出るような、ツーと言やあカッとか返してくれるよな。そういう相手の方が断然面白いのにと、視線を投げたその先では、
「………どうしたよ、ぼんやりして。」
「いてぇーな。」
声をかけながらいちいち蹴るなと、一応はお顔を歪めた総帥さんへ、
「何に気を取られているかな。」
あらためて訊いたお館様。せっかくこっちが“つー”という気分でいたのにサ。カッとも言わずにぼんやりしていた、蜥蜴一門の惣領さん。冬眠しないでずっと一緒にいてくれた彼なのに、さては今頃になって眠たさがつのったのかしら。いやいや、そんな風情じゃあなかった。何かを思い出してでもいたか、心だけをどこぞかに飛ばして、何にか気を取られていたような。
「別に…なんでもねぇってよ。」
「ほほぉ。」
この期に及んでもそんな誤魔化しを連ねるお人なもんだから、
「……………。」
ふ〜〜〜んと、微妙な沈黙の間合いを空けて。それからね?
「そうか。さては昔、人を殺めたその末に、このどれかの根元に埋めたか。」
「いきなり何を言い出すかな。」
「あ。そかそか埋めはしねぇわな。
生気を吸った後の体は、小さいのへお食べって回すんだったよな、お前らは。」
「だから。俺らはそういう格好で人へ仇をなす身じゃねってばよ。」
「たっ、食べちゃうんですか?」
「こらこら、ちびさんまで真に受けて逃げ腰になってんじゃねぇっての。」
相変わらずに即妙な上に容赦がないです、お館様。(苦笑) 身に覚えのないことで怖がられたくなけりゃあ とっとと話せと、何ともややこしい脅し(?)をかける方もかける方なら、しゃあないなと絆ほだされる方も方だったりし。はぁあという溜息混じりに、漆黒の狩衣を羽織りし、大きな肩を落として見せて、
「もう何年になるのかな。いやいや、もっと昔の話だな。」
10年以上も昔のことだがと、そんな風に前おいてから、やはり感慨深げに一番間近い桜の根元を眺めやり、
「桜の精霊に逢ったことがあるのだよ。」
「精霊にっ?」
「精霊だとぉ?」
途端にわくわくっとお顔を輝かせたのがセナくんで、逆に…細い眉をきゅううっと寄せて、胡散臭いというお顔になったのがお館様だったのは言うまでもなく。
「信じる信じないは勝手にしな。」
そんな風な反応をされようというのも織り込み済みだったらしき総帥殿、特に執り成しもないままに話を続け、
「丁度こんなくらい大きい桜の根元に、チョコンと座ってそいつは居たんだ。それだけは間違いねぇんだからよ。」
懐かしそうなお顔になって、彼が見やったその先では。若緑の下生えも眸にやさしい、陽あたりのいいゆるやかな斜面にどっしりと立つ、桜の古木が緋白の花笠を大きく開いており。かつて出逢ったという誰かさんが、いっそそこから滲み出して来ればいいのにと言わんばかりの優しい眼差し、据えたままになってた葉柱さんであったりした。
←BACK/TOP/NEXT→***
|